諦めることを覚えた話(トイレと睡眠を)

自分は「諦める」という言葉が嫌いである。何故か理由を答えろ言われると曖昧な言葉でしか答えられない。

 ここで少し考えてみると、諦める=自己の可能性を否定と自分の中で定義付けしているのではないかと思う。多分ほぼ正解である。

 過去の投稿で自己否定をよく行なっており、それは歪んだ自己愛からくるものだと書いたが、やはり正しいようだ。

上記の可能性を否定する事を嫌悪する、これも一種の自己愛であると考えられる。

「自分はこんなものではない、自分はもっとできるはずだ、期待値だって高い!」

この様な内面にある理想像を保ちたいが為に拒絶するのである。またこれも自己防衛とも言えるだろう。

 話は変わるが、恋愛においてキープされてる前に元カノに「諦めるの?」と言われた事で諦める事が出来なくなり泥沼になったことを思い出した。吐きそうだ。

 

 こんな話は忘れて、諦めた話をしよう。

私は去年の6月から飲食バイトを始めた。基本土日で朝7時出勤時給980円、起床は夏は5時30〜6時 冬は5時〜5時30である。

私は自慢ではないが、腹痛、不眠、過眠、生活リズム不安定、という社会不適合に必要なもの全てを持っている。

 簡単に生活リズムを書くと、眠る時間は、20時〜29時の間、睡眠時間は8〜13時間、腹痛はランダム(食後が多い)

これを見て貰えばわかると思うが、このバイトできるはずがないのである。

 もちろんバイト前日は寝れないまま朝4時に寝れないでキレる、朝腹痛なのに大便が出ないでストレス(30分はトイレにある)、こんな日々が3ヶ月続いた。バイトの3日前から鬱になり、当日はキレながら行き、帰ってきて爆睡し、またリズムを壊した。

 だが、そんな日々が突然楽になったのだ。とある精神科のブログ?かなにかで、「寝る事を諦めろ」と書いてあるのを見かけ、読んだ。驚いた!

 「バイトなんて寝なくても死なないのである」

ここからは気持ちが楽になった。寝なくていい、寝れないなら諦めろ、大便も出ないなら諦めろ、これで精神がかなり安定した。

 

 もし、寝れない事、トイレで悩んでいたら諦めてみるのも手ではないかと自分は思った。

しかし、心に決めたものは絶対に諦めるべきではない(恋愛以外)

 

多分、自分は強迫性障害である。