25歳になっても大学中退、職歴資格なしは変わらない

ふと、絵を描いていて将来の不安が頭をよぎった。

 自分は今24歳で早生まれであるから25歳の年代であって、周りの皆は大学卒業して3年、医学部薬なら去年か今年から仕事を始める。浪人していても23か24で就職するし、高卒であるならば6年目である。自分は今年の4月でバイト辞める、理由は海外で2ヶ月暮らすからである。

 海外で暮らすだとか、そんな事はどうでもいい。自分は周りより6年遅れている、この事実が恐ろしい。正直、時間は6年過ぎていても自分の記憶としては3年もない。簡単な事、鬱と同じことの繰り返しで記憶がないからである。

18歳浪人、19歳大学中退、20歳ニート

21歳大学入学、22歳大学中退、23ニート行政書士143点かな落ちる、24歳バイト始め、25歳まだ未定

思い出なんてほぼない。覚えているのは、大学で差別的な扱いを受けたこと、浪人時代勉強した内容、モンスターハンターワールド操虫棍の操作(1000時間プレイ)、天井を見上げてた

これくらいである。なんて悲しい人生なんだ

 自分で振り返っても何もない人生だ、涙が出てくる。誰も見向きもしないブログで地獄巡りの日々を書いてもそれは便所の紙と同じで水に流されて消えていく。

 人生何度でも立ち直れるというのは簡単だが、そんな簡単に立ち直れるのであれば人は挫けない。

 ボロボロの膝を見ても、嫌な思い出しかない。いい思い出はない。普通ならあるはずなのに。

 過去の記憶というのは美化されていくと心理学で学んだが、私の場合は廃棄前の油のように臭く真っ暗な揚げカスの様に最悪に変わっていく。

 思い出をバックに詰めて歩くのが人間であるなら、自分は周りのバックを見て、詰められた思い出に嫉妬し、プライドの高さ故、そこらへんに落ちている石、ゴミ、砂を詰めで見た目だけは本物に寄せるのだ。なんて虚しい人間なんだ。

 自分の魂の重さは他に比べて重いだろう。妬みや自己否定を繰り返し、出来た傷が瘡蓋になる度に何度も何度も傷をつける、そして肥大化した魂魄は妲己ですら喰らわないだろう。いつまでも何者にもなれず、あるはずのない理想郷を目指して一人彷徨う。死ぬだけなのに。

 

さようならと云いたいところだが、まだ生きねばならぬのだ。最悪の人生だとしても親に泣かれたあの日とリスカの後を見る度に思うのだ。