とあるニートの懺悔 

私は25歳(早生まれなので26の代)のニートです。大学は2度やめ、浪人も2度、自動車の免許もまともに取れない男です。

そんな自分は毎日のように懺悔をしているのですが、それは懺悔の真似事をしているだけだったのかもしれないと気付きました。自分の為に、誰も見ていないこのブログで綴ることにしました。

 まず「なぜ真似事かと気付いたのか」なんですが、それは昨日から父親が入院をして肺に腫瘍が二つあり、体調が芳しくない。そして、母親が「我慢して笑顔でいる」とラインで送られてきた為、父親の状況に察し、自分が父親に何も返せていない親不孝者であり、懺悔を始めたからです。

 普段行っている懺悔であるならば、脳内で苦しみ、謝罪し、何度も後悔する事で薄れていきます。そして、そのまま終わります。しかし、今回は違う。期限があり、その中でなにができるかを考えなければいけない。という点です。

 私は多分人より良い記憶力があり、風景や表情その当時の感情(ネガティブな方向)を記憶できます。9年前に亡くなる瞬間の病室、特別室にいたおじいちゃんとおばあちゃんのことも全て記憶しています。でも、この記憶は奥底に埋めていました。怖かった。後悔した記憶を思い出したくなかった、「ありがとう」すら言えず、会いにいくと約束したのにも関わらず彼女と遊び行かない。忘れたくても忘れられないです。この時もなにもできずに火葬され、火葬場に残る少し焦げた様な臭いと風景。

 長々と記憶をひけらかす訳にもいかないので、ここら辺にしておいて。私は今の状況を変えなければいけないと思っています。だけど、どうすればいいのかわからない。ただ今は診断結果を待つだけという状況。癌かどうかもわからない。

 だけど、ここで後悔して行動しなければ一生変わらないと思う。だから、どうにかして父親に、恩を返したいと思う。

 

働く意思は元々あって探している。免許だけは先に取ろうと思っていたのだが、三ヶ月もかかって、現在お金も認定校と同じくらいのかかっている。8月から働くつもりで7月から通っていたのに...しかも土日除いたほぼ毎日

日雇いのバイトが最近少なく、タイミーなどで探すがコンビニ(経験者)などで難しい。

働く意思はあるが、強くはない。だからこんな風になってるのだと思う。

 

北里大卒業まで頑張ればなとか、もう一個前の臨床工学の大学も卒業できればなぁとか思ってしまう。差別的な扱いなんて何処でも受けるって知らない恵まれた人間だったんだと大学で知った。

 

18の時、ほぼ宅浪で勉強してたある日(昼夜逆転してた)、父親と母親と俺で話してて、いつもの俺なら心に秘めておくのに、「尊敬してるよ」と伝えた自分よ。お前は正しい。150点センターの点を上げたことよりも絶対にすごいよ。

 

 

なんか、書いててわからなくなってしまった。

 たまに思う。なんでこんな辛い感情が増えていくのだろう、最初から知らなければよかったと。