「生きる」とは

生きる事がこんなに難しいなんて思わなかった。仕事、学歴、顔、身長、その他もろもろが、生きるということに直結してる。幸せなんて本当に一握りの刹那的なものであると25歳になって理解し始めた自分は、なんて低知能なんだろう。全てを持ち合わせていない自分が幸福であった、中学生前半までがおかしかった。そう考えなければ辻褄の合わない、18〜24歳までのドブの中で世界を憎んだ自分はどうなるんだ。その幸福と釣り合うように苦痛を与えられただけだ。

 生きていれば、勝ちだというが、確かにそうだと思う。面の皮が厚い無能な政治家やイジメ、虐待、そんな他人の存在や感情を理解できないゴミどもは今も生きている。幸せそうに。

 自分は、上記のゴミとは違うゴミだ。清流の中にある錆びた空き缶だ。お前らとは違う。恵まれた環境で、自分の居場所がここではないことを知りながら、最後までゴミである事を受け入れて死んだ。まあ、そんな事はいいんだ。

 なにか、一つの物事を極められたらなんで幸せなんだろうと、自分は最近思う。昔はアニメや漫画が大好きで色々なもの、知識(浅はか)なものを集めて、「ヲタク」を自称し、他称もそうなった。今はどうだ?オタクですらない、ただの無気力なゴミだ。流されるだけの、昔の熱量はどこへ行った?全ての物事は無駄だと、どうせ失敗すると、自分自身で笑うのか?もういい加減にしてくれ、お前がセンター試験を失敗したのも、大学を二回やめたのも、背負って生きていくしかないんだよ。ここで、消えてしまったら全てが「ダメ」な人間のまま終わるんだぞ。25歳、無職、大学2中退のゴミとして

 まだ、終わらせてはいけない。物語はこれから始まるんだ。第何章かわからない、いつ終わるかもわからないクソみたいな小説の主人公は諦めを知る必要はない。

 あぁ。本当はクソみたいな人生にお別れを書こうと思っていたのに、最後にはこうなるんだよな。まだ生きようとしてるんだね。