誰も見ない日記は書く必要があるのだろうか

どうも、24歳元ニート弱者男性です。

このタイトルで察している方も(誰も見てないなら返事なんてこないだろうが)いるだろう。私は承認欲求が強いのである。

タイトルでわかること、それは書くことに重きを置かず、見られることに価値を見出してるということである。気持ちが悪い。

 

こんな事書いていたら、日本のどこかでこのブログをたまたま見かけて誤ってクリックした人ですら逃げ出してしまうだろう。だが待ってほしい!気持ち悪いものをたまに観たくなる事ってありますよね?いや。あるはず...好奇心がない人間はブログを見ないはず...?知らんけど。

なに書きたいか忘れてしまったが、もし偶然にもこのブログをみてしまった不運なアナタが弱者の滑稽な生活を見て、不運の中に幸運があることを知ってもらえると嬉しいです。

 

あーもう、ネガティブな言葉を書いてしまった。ここでまた少しお話を

ぼっち・ざ・ろっくのひとりちゃん(ぼっちちゃん)の自己否定は歪んだ自己愛という記事をどこかで見かけた。確かに、アニメを観ていても自己否定をする事で見知らぬ誰から否定される事に耐え抜いている描写があった。

その記事を読み、自分の自己否定も自己愛であると確信を持ってしまいました。理由として自分も、毎日「死んでくれ」鏡に向かって「ブサイク」等々言っていたのですが、(脳内でいつも自己否定的な事言ってます)それは本心からくるものではなく自己防衛の為、外部から言われることを極端に恐れた人間が最終的にとる悪あがきのようなもので、結局は自分のことを愛していたから護ることを選んだんですよね。多分。

 

結末なんてないんですけど、初めての投稿はこんなとこで終わりたいと思います。

次回→どうせって言うのやめたい。スマホ依存やめたい。辞めるって簡単なようで難しい