成長の差を脳が理解すると努力が億劫になる

自分は今イラストを描いている、しかし上手くならない。半年描いてもなんとも言えないレベルである、そして今も悩み60秒でポーズを描いたり、顔を色々な角度で描いている。まあ上手くならないのだけども。

 そして、イラストの練習法などを見ていたのだが、50日でどれだけ上手くなったかを載せていたnoteがあり見てみた。学歴も自分より上で成長速度も上だった。上手かった、あぁ開かなければよかったと後悔した。努力でもこんなにも差が開くのかと、悲しくなった

 他人と比べることは、芸術関係において愚かなことである。そう思っている。だけど、他人がいなければ自分を評価できないのもまた一つである。なんだこの気持ちを味わえばいいんだと。いやまあ慣れてるんだけどさ

 自分は勉強が苦手(というか嫌いだった)な上頭も悪かったので、中学では学年下から3番目だった。英語が特にできなく、小テストで0点を取ったこともある。もちろん評定は1

この事実を知った人たちの中で、階段の踊り場から旧帝に現役でいった奴が「えいいち」と俺のことを呼んで揶揄ってきた。中学の時の自分は馬鹿なので、そんなことそこまで気にしなかった。でも、心の底では劣等感を抱えていたんだと今だと思う。

 もう一つだけ劣等感を感じた話を。中学で給食の栄養価やスーパーの食品についての授業があった。その時に、グループか一人かは忘れたがまとめたものを発表する場面があった。

自分の発表内容は、賞味期限が近いものを安くすることで売れ残りを減らすみたいなことだったのだが、自分以外の発表ではあまり手を上げて質問などをしたいなかったクラス中が、自分の時だけみんな手をあげるのだ。内申点稼ぎだといって。今でも覚えている。その時当てられたのは文系一番の私大かな?のとこにいった女の子であった。もちろん自分はあわあわして答えられなかった。

 まだ色々あったが、もういい。浪人時代とかもあるけど長くなるのでやめる。

 この劣等感に慣れた自分が成長の差ごときで折れるはずがないのである。4000時間勉強しても550しかとれなかった時よりマシ。電柱みたいな心。いつの間に鉄心をコンクリートで固めて本当の心を曝け出せなくなった。すすきの様なしなやかな心になりたかった。

 よし、また絵の練習しよ。がんばれ!(がんばれって書くとライスが脳内でがんばれーらいすって言うの草なんよなぁ)

 

いつか、いつかは自分の納得できる絵を描ける様に。また時間を無駄にしてしまった

 

*追記 小学生の化け物画力に圧倒されて気絶寸前でした。精進します