乞食の子供と僕とインドネシア

自分は自他共に認める"恵まれた環境"で生まれた人間である。(親が収入安定していて、まともである)まあ、医者とか弁護士とか、そんなレベルではないが...そんな自分が今回体験してどう思ったかを書いていく。

 初めて乞食というものを見たのは(記憶にあるもの)ヨーロッパの道路に掛かってる橋にいた初老くらいの男である。不気味に凭れ掛かり、崩した脚の目の前にはお金を入れるための帽子、普通の子供は恐怖を覚えるかもしれないが、自分は小学校1年生くらいの頃だったのだが、好奇心があり、お金をあげたい!と両親へ伝えた。だが、親は断った。理由は「この人にもプライドがあるから」というものだった。確かにその通りで、今も心に刻まれた言葉である。

 次に出会ったのはマレーシアで腕のない若い男性だった。この時はお金は渡さなかった。自分は一円も持っていなかったからという理由であるが後悔している。生きる為に必死な姿が自分の脳内で何度も再生されて、お前は甘えて生きていると言われてるみたいで心が痛い。

 そして、インドネシアのパサール(市場)で出会ったのが脚がない老人であった。ここでは周りのインドネシア人もあげていた(結構優しい人が多いのか、人助けしてるところをよくみるし、自分も助けられた)その時は、母親がお金を渡していた(自分はルピアを持ってない)やはり、生きるとは難しい事なのだと理解できた。ここにきて心が成長していることを実感した。

 最後が、タイトルにある乞食の子供である。これはアラブ人の住む地域にあるモスクへ行く途中の道で、壁に寄りかかる大人4人と子供数人。そして、自分がその前を通ると子供が二人着いてきた。インドネシア語?なのかわからないが、永遠に自分達の前を遮りながらしゃべっている。自分はこの時点で察したのだが、乞食である。しかし、着ている服はそこそこ綺麗であまり困っている様には見えない。(親は通行料??みたいに言っていた)試しに、ポケットに手を入れると、すぐその方向を見たので確信した。そして、壁に寄りかかっていた大人の方を見ると、ニヤニヤとこちらを少し見ていた。察した。これは親がやらせている乞食であると、これに気付いた時、すごく不快な気持ちになった。この行為に困っていると、知らないインドネシアの女の人が首を振り、子供も察したのかささっと逃げて行った。この後にも近くのお店で乞食の老婆と子供にあったのだが、その人たちは服装が良くなく、困っていたのかもしれないが、もう渡す気にはならず首を振ってしまった。

 ここからは感想で、正直とてつもなく不愉快な気持ちになった。親が自らやるのではなく、しかも働くことが出来そうな体つきなのに子供に稼がせる。子供は良し悪しがわからずにそれが正しい事だと思い生きていく事になると思うと胸が痛くなる。日本では子供に乞食行為をさせることを禁止しているはずなので見ることもほぼないと思う。だけど、見えないところで飢えたり、困ってる人もいると思う。そんな人たちに手を差し伸べて、ある程度生きる基盤を作ってあげるのがいいのではないかと自分は思う。最近、自己責任論が加速して、全て自分のせいだとする人が増えている気がする。実際はそんなことないのである。乞食の子を見ると、自己では変えれない環境や状況なんてたくさんある。だから、今全て自分せいと思い込んでる人はそこまで気負いしなくていい!と思う!

 

全然まとまってないけど、まあいいか。